自分をコントロールするには
学びという言葉から何をイメージしますか。
私たちは学びという言葉から
勉強することを思い浮かべ、
新たな知識を得ることを
イメージするのではないでしょうか。
そして今までの経験から
知識を得るだけでは自分が望む未来には
ならないことを知っています。
多くの人が学ぶことに
消極的になってしまうのは
知識を得る努力をしても
自分が望む未来へ向かえなかったり、
学びの意味を見いだせなかったり、
するからではないでしょうか。
そこで学ぶということを
もう一度考えてみましょう。
私たちは日々生きていて
何も学んでいないのでしょうか?
例えばある状況で
うまくいかなかった経験をしたとします。
もちろん落ち込んでそのことを
考えたくないこともあります。
けれど二度と同じようなことを
したくないという思いが沸き起こったら、
その失敗を振り返り、
今度同じような状況になったら、
こうしてみようと考え、
状況をいい方向へコントロールしようと
しますよね。
この行為は立派な学びだと思いませんか。
大人の学びは失敗を振り返り、
次を考え実行する。
つまり経験学習が多いのではないでしょうか。
私たちが何かを学ぶ目的は
自分をより良い状態にするために
自分を変えていくことです。
私達は経験学習を日々行っており、
自分で自分をいい方向へ
コントロールしようとしているのです。
そして自分をより良い状態にすることは
自分が望む未来への足がかりではないでしょうか。
自分を知って自分をコントロールする
自分をコントロールするには
自分を知らなければコントロールできません。
つまり経験学習するには
自分を知ることが必要になります。
自分を知ることには自分のメンタルモデルを
知るということも入ります。
私たちは自分のメンタルモデルによって
この世界を見ています。
そして他の人も自分が見たものと
同じものを見ていると思っています。
しかし私たち一人ひとりは全く違う経験を積み、
解釈しながら生きています。
そのため一人ひとり全く違うメンタルモデルで
この世界を見ています。
人と意見の対立が起こるのは
人はみな同じものを見ているという前提に
立っているからです。
同じものを見ているのに
なぜ私と同じ見方や考え方にならないのか。
私の方が絶対に正しいと正当性を主張して
意見の対立が起こります。
他の人と考えの違いがあるとわかったら、
自分はなぜその考えに辿り着いたのだろう。
相手はなぜその考えに辿り着いたのだろう。
と振り返ってみると
自分が世界を見ている前提、
つまり自分のメンタルモデルに
気づくことができ、
また相手のメンタルモデルも
うっすらみえてきます。
お互いのメンタルモデルが見えてきたなら、
対立解消の糸口が見えてくるでしょう。
また自分の見方や感じ方・考え方で
状況を見たときに不快感を感じるときは
状況に合う他の見方や考え方がないかを
考えてみましょう。
自分の見方や感じ方・考え方を
変えることで状況を好転させることが
できます。
状況にそぐわない感じ方・考え方で
いたのかもしれません。
自分を知って自分をコントロールし、
よりよい状態へ向いましょう。
意識的に自分に目を向けてコントロール
人それぞれに見方や感じ方・考え方が
違っているとありましたが、
私たちの身体は人との違いがあると
それをリスクと捉え、警戒心を高めます。
逃げるか戦うかを瞬時に判断して
行動できるようにするためです。
だから人と違いがあると気づくと、
身体が反応して急に居心地が悪くなります。
このためつい自分と違う見方や
感じ方・考え方の人を避けてしまったり、
ときには戦うこともします。
しかし人との違いに目をむけることは
自分を知るためにはなくてはなりません。
なぜなら違いがなければ
自分の見方や感じ方・考え方に
意識が向かないからです。
私たちは違いには敏感です。
それは本能だからです。
自分の見方や感じ方・考え方に
居心地の悪さを覚えたときは
その居心地の悪さから逃げずに、
意識的に自分をみましょう。
自分にとってよりよい状態であるために
どの見方や感じ方・考え方であると
いいのかを考えるチャンスであると
とらえましょう。
自分の見方や感じ方・考え方を知り、
状況に応じて適切なものを
選ぶことができれば
自分をコントロールすることができ、
より良い状態に変えることができます。
自分の見方や感じ方・考え方を、
適切なものにするという
経験学習するチャンスなのです。
自分をより良い状態に変え、
自分が望む未来へと
自分をコントロールするという
経験学習を是非意識的に
行ってもらいたいものです。